残日録
[149] 2/18/2001. 私は常に、いかに効率よく、物事をこなすか、を考えています。 それは、単に便利とか、面白いとか、そんな面はすっぱり切り捨てて、純粋に実用面のみを考えています。 まあ、そんなことを考えている時間で効率が下がるんですけど。 この間、あることをやればWindowsの利用が便利になるとか言う話があったのですが、はっきり言って便利になるよりもその行為をしなければならないということ自体ただそれだけで全然便利ではないということにその人が気付いていないことには驚いた。 そういうことに気付くこと自体特異なことなのか? まあ、世の中、まだまだ良い面だけで良いと評価されていたり、悪い面だけで悪いと評価されているものが多いので、これもその一つでしょうか。 悪い面も考えたら、「行為の実行」を要するということは、道具としての実用性のみを考えればとんでもないデメリットなんですがねぇ。
足が痛い。 大学の野外実習にて疲れ果てる。 徒歩20kmはねーだろ。 一番体力無いのに友人二人と帰りに競争したのが効いた。 筋肉痛になること必至。
[148] 2/16/2001. 先日、加藤紘一氏がOFF会に来た件を書いたら、Refererを見ていたらしくTRRAZIさんとこからリンクされていてびっくり。 しかもコメント付きだね。 なんか、こういうのって気分良いもんですね。 ねっとにゅーすで初めて返信を受けたときとか、掲示板の書き込みに返答があったときとかの感動みたいなのを思い出します。 自分の言葉に良きにつけ悪しきにつけ反応があるのは嬉しいものですね。
ただ、批判的な反応だと逆切れしたり消えたりすることがあるのは残念です。(今回はそうでなかったが) 正統な批判なら反省すべきだしそうでなければ反論すべきなんですがねぇ。 最近のねっとにゅーす上では悲しいことも多いね。 お、ちゃんと反省している。ってことや議論の結果両方納得とかもまだまだ多いんですけど。(実際は終息しただけで納得していないかも) 近頃は無視対象(過去にあまりにも傍若無人の限りを尽くした人々で、批判にすら値しない。っつーかしたらしたでまた面倒。)が増えて参る。
先日(書き出しが前と同じだ)、うちの親から中学・高校の先生(私は中高一貫だった)が癌でやばいという連絡。 う〜ん、死ぬなよ先生。 死にたくなければ。 死にたきゃ止めはせんが、知っている人が死ぬのは悲しいもんだよ。 と言いつつ、よく知る人が亡くなったことを経験したことが無いのだった。(爆) あ、伯父さんが亡くなったか。 でもなぁ、疎遠だったし、顔も覚えてなかったし。 ともかく、がんばって下さい。>先生
突然ですが、私は一日に数時間ぼ〜っとする時間が必要な人間です。 というか、考え事をする時間、でしょうか。 そ〜ですねぇ、わたしゃ色恋沙汰からは疎遠なんですが、やっぱず〜と一人は寂しいもんで(半分ウソでもあり半分本当)、身近に誰かいないかなぁなどと考えたりするんですが、いませんねぇ。 わたしゃ、ひっじょーにツッコミの激しい人間なんで(関西系の人間から見れば普通だと思うけど)、ぜってーこの毒舌に耐えられる人間はいまいと思ってまあこの件はあきらめ。 余程に惚れたら言わないかもしんないけど。 う〜ん、でもそれじゃ私じゃなくなるね。 っちゅーか、真面目にシリアスな事柄を語り合うことができる人間じゃないとダメだし、論理的な思考ができない奴はダメだしなぁ。
先日も、テスト勉強を友人としていたら、某先生の話になって、誰かは「別の先生をバカにしていた」から嫌いとのたまっておりましたが、まあそれは根拠があるからよしとして(そのバカにするのにも根拠があることに思い至って欲しいが。いや、それは分かっていてもやっぱり人をバカにするという行為自体が気に入らないのかもしれませんけど。)、別の奴が「以外と自分にはできないことをやってるから妬んでるんだったりして」と言った。 それだけならいいんですが、そんな無根拠で推測にすぎない話を、自分のその先生に対する無理解も置いといて、私に「それはねえだろ」と言われても主張し続けるようじゃ、ダメだね。 たったそれだけのこと、なのかもしれないけど、そういう小さいことから論理的思考ができるかどうか、ってのは判断できるもんなんじゃないだろうか。
また、なんで最近の人間はやたらと小難しいことを考えるのが嫌い&恥ずかしがるんでしょうか。 考えることは恥ずかしいことなんかじゃない。 パソコンのことを説明してもろくに説明も聞きやしねー。 知らないことは罪ではないが、知ろうとしないことは罪だ。 まあ、どうでもいいことなら知ろうとしなくてもいいけど。 進路で悩むのも語らねー。 (っちゅーか、私に語っても仕方ないという考えもある。私は悩まないし迷わないし。あ、それが表に出ないだけで内部では一応短時間なら悩んでるけど。) まあ、同年代の人間とは語りづらいのか。 先生と語るのはそこそこ平気なのにね。 私はそういう話が大好きなんだけど。 っつーか、あんまり軽い話が好きじゃなくて。 そんなことで一々喋る必要ないやん、って。 口を動かすのが億劫と言うのかな。
んで、話を戻すと、他にも死ぬって何だろうとか。 ほんと、どういうことなんでしょうねぇ。 何十年後かに死んでみないと分からないのか。 それと関連して、「存在する」ってどういうことなのか。 知ってみたいね。 んじゃ、「時間」って何なんだろう、「空間」ってなんなんだろう、とか。 相対性理論はそれらの関係は解き明かしたのかもしれないが、それらの定義とか意味は分かってないね。たぶん。 これまでにも色々書いてきましたけど、政治のことも考えますね。 っつーか、未来のこと、と言うべきか。 私が専門で知りたいのも未来なんですよ。 古環境解析のデータを集めて法則を見いだし、定量化、定式化してコンピュータ上でシミュレーションして未来を予測する。 まあ、前にも書いたような気がするけど私の世代じゃ無理でしょうし、できるようになる前に人類絶滅してるかも。
それはさておき、政治の話。 まあ、新聞やTVが騒いでいる件は放っておいて、いまの「制度」「体制」に私は疑問山積なわけでして、そんなこと考えているから昨日も寝坊してテスト受けられなくて単位を落とすわけでして。 さらには別のレポートの仮提出もできないわけでして。ま、それはまた別のお話。 んで、なんで日米安全保障条約は必要なんだろう。 なんで「政党制」が必要なんだろう。 なんで世界秩序はこんな体制なんだろう。 なんで公務員制度ってあるのだろう。 なんで公共事業ってあるのだろう。 なんでODAなんてあるのだろう。 なんで借金して人に金貸さなきゃならんのだろう。 なんでそんな制度が存在するのだろう。 とかね。 その上借金して人に貸して踏み倒されるし。(最貧国救済の債権放棄) 人道とかよりわたしゃ道理を重んずるんで、返済期限100年延期ぐらいなら応じても良いと思うけど、放棄はねぇ。 経済の専門家とか(に限らない)は、「今の経済は複雑で」とか「世の中はそんな簡単じゃない」とか言うけど、それって若い世代(の私)から見れば単なる言い訳やん。 そういう状況にしたのはテメーラダローガ。 だから言おう。 「世の中は単純なんだ」と。
多くの事柄には良い面と悪い面がある。 それを自分にとって「良いこと」にするのか、「悪いこと」にするのか、は自分次第なのだ。とおもう。 例えば、親が病気で死んだとする。 でも、それをバネにしてしまえば自分で「良いこと」だとは死んでも思いはしないだろうが結果的に知らず知らず「良いこと」になっていることはあり得る。 まあ、認められない人も多いんだろうけど。 それが分かっているだけで、人生、気が楽になる、と思ってます。 悪いことがあっても、「良いこと」にしてしまおう、と考えられるから。
人間は、自己中心的なものだ。 自己中心的でない人間なんていやしない。 何故なら、他人のために何かをするのも、「他人のために何かをした」という自己満足を得るためなんだから。 なんか、「自己中心的」っていう言葉は、物質的、金銭的な利益についてしか考えていないような気がする。 精神的な利益とかも含めれば、絶対人間皆自己中なのにね。 私は自己中だ。 だから自分のためにならないことはしない。 だけど、他人のためになることをしないわけじゃない。 他人のためにしかならないことをしないだけだ。 自分のためにも、他人のためにもなることなら喜んでしよう。 私は他人の幸福を自分の幸福と思える人間だから。 他人の不幸を自分の不幸とかは思わないけどね。 他人の幸福を自分の不幸と思わないわけでもないけどね。 結局、私って普通の人間なのか。
ところで、加藤氏の全国行脚の名前は「加藤紘一がゆく!〜新しい日本をつくろう〜」だそうです。 まんまやね。 ま、それでいっか。 とりあえず、宇和島には行ってね。 人気取りのためだけじゃないってところを見せとくれ。
あ〜スッキリ。
[147] 2/10/2001. ドリームキャストが在庫処分で激安になるそうですが、かなり買いたい。 別にファンタシースターオンラインのためではなく、NetBSD for Dreamcastのために。 それが動いているのをただ見てみたいだけ。 別に、1万円程度ならそれだけのために買っても良いかなと思ってしまう。 う〜ん、私の金銭感覚狂ってますね。
びっくり発見事。 濃紺地(暗色地)にピンクで文字を書くと浮き上がり、水色で書くと奥に見える。 ローテクで実現する3次元効果。 う〜ん、常識? アレ?バックがダークグレーだとピンクの方が奥に見えて水色が浮き上がるのね。
先日、TERRAZIとゆかいな仲間たちというサイトのオフ会に「加藤紘一」氏が出席されたそうで、TERRAZI氏の強制(笑)によりこのオフ会のレポートがkatokoichi.orgに掲載されています。 このレポートを読んで、加藤氏は今の日本の政治家の中ではとてつもなくインターネットについて理解していると言えるのではなかろうかと思う。 加藤氏は「IT革命の本質は『人と人との深い繋がりを可能にする』ことなのかもしれません」とのたまわれております。 私もその通りだと思います。 巷ではIT革命が時代の最先端のハイテクのように思われているかもしれませんが、じつはとんでもないローテクの集大成とでも言う方が正確なのではないかと思います。 なんと言っても、道具・インフラにすぎないインターネットは使い方とどれだけ使うかこそであって、それは人間がやることなんだからローテクがなくては成り立ちません。 でも、人間の交流はインターネット無しでも出来ないことはありません。 ただインターネットがある方がより楽に情報発信できたりするだけ。 ところが、インターネット無しには出来ないことがここで浮かんでくるわけです。 それは、時間を、空間を、超越して、不特定多数の人と人とを結びつけることです。 電話では、空間は超えられても時間は超えられませんし、不特定多数の会話も難しい。 メールやインターネット(メールがインターネットの1アプリケーションにすぎないと言うことは知っておいて欲しいものだ)であれば、受け側も自分の好きな時に道具さえあれば好きな場所で、情報を受けられます。 それこそがインターネットでしかできないことであり、インターネットの存在意義はここにあると私は考えています。 それ故に加藤氏の文は本質を突いているのではないでしょうか。 現在、インターネットの力は増すばかりです。 彼がインターネットをうまく利用していければ彼の復活もあながちあり得ないことではないかもしれません。 ただ、政治家個人としてはいいとしても、「自民党」という括りでは民主党より遙かにインターネット音痴なので自民党にいては道連れにされますよ。>加藤氏 特にインパクとか。 あんなもんそこらの無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁぁぁぁぁぁっっ、な公共事業と何ら変わりないじゃありませんか。 これで糸井重里もえらい株を落とされたんじゃないでしょうか。
だがインターネットで注意しなくてはならないのは、言うまでもなく面と向かってのつきあいではないと言うこと。 意志の疎通にも限界がある。 しかし、だからといって直接会うことが最善というわけでもないと私は思う。 というのも、面と向かっての場合にはその場で即受け答えしなければならないが、それは必ずしも重要ではないと思うからです。 その場で受け答えできなければ、後でゆっくり調べて返答を考えるのも良いでしょうし、質問する側でも同じでしょう。 ですから、インターネット上でも、直接でも、どちらか片方だけでは不完全なものだと私は考えています。 その両方を相互に補完しあいながら利用してこそ正しいコミュニケーションが図れるのではないでしょうか。 そういうわけで、そのどちらにも優劣などというものは存在しない、というのが私の見解です。 なんか、「やっぱり直接会わないと」みたいな話ばかり目に付くので書いてみました。
はっはっは、ふわっはっは、ふわ〜はっはっはっはっは!!!! ついに取ったぜ独自ドメイン!!!
「霜月DigitalDesigns」が移転し、改称&リニューアル。 そこの方、間違っても「なあ知ってる知ってる? 霜月DigitalDesignsが移転して独自ドメイン取ったんだぜ」なんて人に言わないように。 間違いなく「何それ」とか言われて腐った納豆を見る目で見られるだけです。何だこの喩えは。(笑) なんて誰も言わないんだろうけど。 言って欲しいなぁ、って私の個人的願望です。(ばく)
移転記念に、どなたか足跡の方にもお書き込み願います。 お願い。寒いんす。マジで。(T^T) でも、移転後初書き込みだからって何も出ません。あしからず。 あ、記念殿堂ぐらい作りますか。
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